ドアを開けると、ひゅうと風が頬をすり抜ける。 閉めた筈の窓は開け放たれていて、そこに人の姿。 結い上げた緋色の髪がゆらりと大きく夜風に靡く。 「来てたのか」 戸を開け放つ音ではなく、少年の声を聞いてから、紅の瞳がすっと動く。 それから、不法侵入の黒衣の男はゆっくり笑んで言った。 「外泊中かと思ったぜ、コーコーセー?」 「……その割に待ってんじゃん」 「まーまだそんなソッチの甲斐性があるとも思ってねえし」 「喧嘩売りに来たのか、てめえは」 眉間の皺を深くして、少年が腕を組む。 ドアは既に閉じている。 開け放たれた窓を赤い死神はからからと音を立てて締め、二人きりの空間を作り出してから、 ようやくベッドから立ち上がった。 「そんなわけねえじゃん」 怒っていた少年の首に、男の両腕がするりと絡んだ。 眉間の皺が解けるより先、一護の頬に血が上る。 子供は喜ぶより先に焦って、後ずさり、やたら派手な音でドアにぶつかった。 「静かにしろよ。家族いんだろうが」 「……そーだよ!やっと寝付いたトコなんだよっ」 まだ血を上らせた色を晒しながら、一護は小声で抗議をした。 その言葉を聞いて、ああ、と恋次は腕を引いて、自分の首に手をやる。 「なるほどね、夜遊びじゃなくて家族サービスの方だったと」 「……夏だから、心霊特集とか、そーゆーホラー系っつーの?怖いくせにそういう番組見たがるんだよ、うちの遊子が」 「心霊特集?」 「悪霊がどーとか、オバケがどーとか」 「虚……ってわけじゃねえよなぁ、まあそれだけヤバいのは娯楽にする余裕ねえだろうし。しかし人間は変わったものが好きなんだな?」 「うちでは遊子と親父がなー。あいつ、夏梨と相部屋だけど、今日夏梨が友達んち泊まりに行ってていねえんだよ」 「んで一緒に寝てやった、と。……わー、運が良いのかもしれねえな俺」 「何が」 「だってそのまま寝ちまったかもしれねえし。そしたら、あー今日は夜遊び中だなと判断して、帰ったろうし」 「……それだったら、運が良いの俺じゃねーか。戻らなかったら勝手に誤解されんだから!ていうか霊圧でわかるだろうが霊圧で」 「勿論。じゃなきゃ、待ってねえよ」 くるりと振り向いて恋次は寝台の元へ戻る。 腰を下ろしてすぐに、ごろ、と横になった。 片腕を枕にしながら、少し見上げた。 薄いオレンジの瞳を確認して、それから瞳を閉じて、会話だけ続ける。 「で、優しいおにーさんは、何を寝物語に語ってやったんだ?」 「別に、そこまで子供じゃねえんだから、童話読んだりしたりしてねーけど」 「しねえの?じゃあ何すんの」 「最近あった話とか、ぽつぽつ話して……そんくらいかな」 「ふーん、寝物語にしちゃフツー。人間ってそういうのでお決まりのもんはねえのか」 「小さい子供には絵本読んだりすると思うけど、普通は。後は……」 うーん、と少年が首を捻った。 「羊、とか?」 「ひつじ?」 恋次がぱちりと目を開けた。聞き取れない、という顔をする。 一護は相変わらず首を捻っている。 「あ、でもありゃ自分で数えるもんかなぁ」 「……羊って、動物のだよな。なんで寝るときに数えるんだ?」 「なんで、って言われても。数えると良く眠れるって言うぜ。原理も真偽も知らないけど」 「……数えるって」 「だから、ひつじがいっぴき、にひきって数えてる内に安心して眠れるようになるんだと」 恋次は少し考える顔をした。 それから、ああ、と納得したような声を出す。 「腹がいっぱいになると眠くなるもんな」 「……へ?」 「いやだから、それだけ食い物がいっぱいあるって話だろ。それで安心するわけだ。満腹になったような気分を味わって…… なんとなーく、眠くなる、と」 「いや違う多分それ違うと思う」 「なんで」 「なんでって……食料扱いで数えるわけじゃ……大体それだったらいっぴきーにひきーって数えるより、いちまーいにまーいって感じ……って番町皿屋敷じゃねえかコレ」 「バンチョウサラヤシキ?」 「ああ……それも知らねえか?ってまあ、お前子供の頃に尸魂界行ってたらわかんねえかもなぁ」 「なんだよそれ。つーか、じゃあなんで羊で安心するんだよ」 「人畜無害な感じがするんじゃねーの」 恋次は再び考える顔をした。 「羊って、そんな見てて気ィ安らぐ顔してるっけか」 「……そんなにリアルには想像しないもんだと思うけど……」 「ふーん。まあ、いいや。じゃあ、添い寝で妹寝かしつけたえらーいおにいちゃんに羊はともかくきっちり添い寝してやろうかな」 「……添い寝ぇ?」 「寝物語のが好み?」 「…………お前なら、どっちでも、いーけど」 「そういうトコが素直で可愛いからあっさり返事すんな馬鹿」 「馬鹿ってなんだ、嫌なら聞くな」 「嫌なわけねえじゃん。甘やかしちまって困るっつー話をしてんだよ」 「ワケわかんねーよっ、大体お前は俺んちに寝るためだけに来てんのか薄情者。寝言交じりの寝物語なんかじゃなくて、しっかり俺と」 「まあ、そりゃあ勿論」 斜めから、咥えるような口付けをして言葉を切れさせる。 「一人寝じゃなく、お前と寝に来たんだけどな」 そう言って、無邪気に笑うから、普段の彼より幼く見えて、少年は赤くなった。 凄いことを言われているのに、可愛いだなんて思ってしまう。 というか、はっきり言われて照れるけれども、内容は正直嬉しい。 「……して、いーの」 「そこを聞くか、馬鹿」 「だから馬鹿って言うな!」 「じゃあ野暮」 「なんだよもう、だから、喧嘩しに来たのかよ!」 「うるせえなあ……ぐだぐだ言ってねえでさっさと来い」 「え。来い、って」 思いっきり赤面した子供の手を引っ張った男は、ぐらりと揺れるその体をすぐに両手で引き寄せた。 「危ない」という一言の最初の阿の一音を発したがそれ以後は発せずにいる一護の体をぎゅうっと抱きしめて、恋次はそれまで舌に載せていた言葉を捨てた。 黙って自分を強く抱きしめる両腕に何か感じるものがあって、少年は抵抗できずに大人しくする。 それでも視線だけは落ち着かず、彷徨う。何もしないでこうして抱き合っているのは凄く恥ずかしいから。 胸元の死覇装をくい、と引っ張って、主張はするのだけれど言葉にはしない。 「俺さあ」 やけに低音の響きがいつもと違うことを感じさせて、少年は死覇装を握った手を緩める。 頬を男の胸につけたまま、押し黙ってその続きを聞く。 「今まで、欲しいものは一つしか手に入れたこと、なくてよ」 「……それって、何なんだ?」 「つまんねえんだぜ、きっと、てめえみたいなガキから見たら。自分の中では苦労して手に入れたもんのはずなんだけどよ、お前に言うのはなんか恥ずかしいな」 「そんな風に思ったりしねえよ」 「……まともな生活、っつーか。その、戦いの無い生活ってわけじゃなくてな。護るものはあるんだ、そのために戦う力があって、それを使うのは当然で、むしろそれはやりたいことで……そうじゃなくて」 「……」 「何もできない自分を捨てたかったというか、変わりたかったというか。誰も助けられないのがずっと嫌で。皆目の前で死んでいって。ガキの頃の話だが。結果として俺はこうやって強くなって、護廷で働いてて」 「うん」 「でも結局ルキアのこと助けられねえ自分に気付いて、絶望して、てめえに頼んで。 でもやっぱ諦めんの嫌で、最後まであがいて。俺はさ、そういうことはみっともねえとは思わないけど、少なくとも一人でできたとは全然思ってなくて」 今はこうして語る男の顔を見ていないのに。 呟くように落とした声を続ける恋次の顔が予想できる気がして、瞑った瞳の奥で見詰め続ける。 「てめえに助けてもらったって思ってる。ルキアのことだけじゃなくて。ルキアのこと想ってる自分の気持ちごと救ってもらったって思ってる。だからお前は特別なんだよ、俺の特別。でも」 「でも?」 「多分てめえにそうやって救われたのはルキアもそうだし、それ以外にもいるんだろうなって。俺はなんつーか手ぇ早いからこんなんなってるけど、よ」 冗談めかした声に、一護は何かを言い返したかった。 けれど、丁度いい文句が思い浮かばなくて、眉間の皺を深めるだけに終わった。 「お前、よく、その内俺に会いに来なくなるんだろって拗ねるだろ。そんなん、多分逆だと思うんだ」 「……ぎゃく?」 「そう、逆。会いに来ても、多分、お前が他の奴の傍にいるとこ見る日が来るんだろうなって」 少年は、突然、顔が見えない今の状態が嫌だと思った。 それなのに、胸に押し付けられる腕が強くて外せない。 「それでいいと思ってたし、お前の一瞬に重なってりゃそれで満足だったのに。本気の遊びってことで、片付けられたかもしんねえのに」 「あ、遊びってなあ!」 「お前があんまり、何度も、何度も、ずっと来いって言うから。ずっと自分のとこに居ろって言うから」 大きな手が自分の頭に乗ってくしゃくしゃと髪の毛をかき混ぜるのを感じて、一護は突っ張っていた力を抜く。 こうされると弱い。こうして触られるのは――――好きだから。 「俺のこと尸魂界に帰さないように頑張ってごねる日があるだろ、あれとかすげえ可愛くて」 「ああいう時に限って、お前、嬉しそうにするくせにすぐ帰るんだもんな」 「だって、怖えんだぜ」 「は?」 「ああいうこと言わせて満足してる自分がいてよ、でもそれに溺れそうになる自分がいてよ。うっかり思うんだ。もし、今、このままここに留まったら、こいつの心を自分に縫い付けちまえるんじゃないかって」 「……」 「甘えてくるお前のこと全部甘やかしたいって、めちゃくちゃ努力してんだぜ、これでも。格好悪いだろ。いつでも手放してやるつもりだったのに、お前が甘えてくる度、どんどん手放せなくなる」 「俺は、離れないからな。てめえが会いに来なくなってもなんとかして会ってやるんだから」 「だからよ、俺を甘やかすな。おかしくなってくるから……なぁ、本音が、もう堪えられねえんだよ」 「ほん、ね?」 顎に手が掛かったのを感じて、少年は素直にそれに従う。 「もういい加減、俺のものになれ」 紅の瞳と、落とした声のいつにない強さにどきどきした。 そして、その力強さの奥に惑う色を見つけて、余計にぐらぐらする。 「俺はお前のものになってるからよ、後はお前を寄越せっつってんだ」 「な、俺は……お、お前のこと前から好きでだな、い、今更なんだけど!」 「全然違う。好きとかそういうのとは違う。一瞬の好きじゃ足らねえ。言っちゃいけねえことなのにな、こんなん。ガキくさいのは俺の方なんだ」 「恋次、意味が、わかんないんだけど」 「お前の未来丸ごと欲しいんだよ」 もう力の入っていなかった腕を自然に押しのけ、思わず一護は男を見上げてしまった。 橙色の瞳が、呆然と見開かれる。 将来の確約を何より嫌う恋次が。 今、信じられないことを言っている。 紅い虹彩は哀しそうにじわりと歪む。 「最低だろ?お前の好きだの惚れたのいう感情、全部俺に向けろってそう思ってんだ。すげえ独占欲。こんなに欲しいもんてあるんだなって思った」 こんなこと言っているのに、どうしてそんな顔するんだと、急いた気持ちに後押しされて、一護が早口で言う。 「それって、あの、どうすれば、いいんだ」 「ん?」 「前にお前が言ってた、俺が、抱かれれば、いいの。それでわかるもんなのか」 「……いや、そうじゃなくて。……してもいいなら、それもするけど。そうじゃなくて」 「じゃあ何」 「わかんね、俺にも。口約束が欲しいんじゃねえんだ、それは自分でもわかってる。胸ん中が、なんか、無茶苦茶で。矛盾してて、落ち着かなくて」 「恋次、俺もそうだから。俺もだから。ずっとそうだ、ずっと落ち着かねえ。好きってもっとあったかくて柔らかくて気持ちいいもんだと思ってた」 業火にもがくように、ただ熱くて苦しくて。 それでもおいそれと手放せない。 「どうしたらいいんだろうな、こういうの」 不安とは違う。ただの焦りとも異なっている。 両腕にしっかりと抱きかかえられて、一護は透き通ったような、不思議な感覚を覚えた。 とても新鮮な感情だ。 いつも、置いていかれるような感覚を味わっていたのに。 縋られているようで、途惑いつつも、満足感を得てしまう。 自分より長く生きていて、自分より経験豊富で、自分より立派な大人の身体を持つその男の背を安心させるように撫でながら、ふと思う。 求められるってこういうことなんだろうか。 (ずっと、言ってくれないって思ってたけど) 自分が言って欲しいと願っていた甘ったるい言葉より、強烈な感情を暴露されて。 嬉しいと素直に喜んでしまうのが申し訳ないくらい真剣な相手に、声を掛けたら震えてしまいそうで。 驚くだけでは終わりたくないのに。返したいのに。 迷う相手の、背中を押したかった。相手のために。自分のために。 「どうしていいか、わかんねえんだったら」 「……ん」 「いいと思う。今、すぐどうこうってだけじゃなくて。俺、こうして一緒にいるだけで嬉しいし。けど、お前が言ってるみたいな、もどかしいって気持ちも、あるし。このままじゃ駄目か。どうしたらいいかわかるまで一緒に居るって駄目なのか」 「……そうやってなあ、無防備にしてると、いつか攫われるぞ」 「相手は見てるよ、心配すんな」 「その相手は、お前が思ってるより、タチ悪ィかもしんねえぞ?」 「それでもいいって思ってる相手にしか、こんなこと言わねえよ」 自分だって同じ感覚を有している相手なのだ。 どうしていいかわからないくらいにもどかしいのだ。 こうして、抱きつく手を強める以外にやり方を知らない。 「だから、……ちゃんと、お前のもんだから、好きにしたっていいから、……お前も俺のとこに居ろよ」 挑むように真っ直ぐ見据える橙の瞳。 紅の視線がそれを柔らかく受け止めて、小さく苦笑する。 「……わかった。お前が、どれだけ間違ってるか、実感するまでは……てめえのもんで居てやる」 言った途端、堪らないというように噛み付く勢いのキスを男から受けて、少年は息を乱す。 奪うように酷くされても、怖いわけじゃない。 多分今なら、このままベッドに沈められたって、それでも。 「間違えてねえよ。……こういうのに間違いもなんも、ねえんだよ、多分」 「お前はガキだからわかんねえんだよ」 「間違ってたとしたら、お前の方こそいいのか?」 「俺は願ったり叶ったりだ。ラッキーだぜ?お前がこのまま間違ってくれて、逃げなかったら」 「んじゃお前こそ、逃がさないようにしてくれよ」 子供が珍しく年相応に、笑った。 男の両腕が素直に強く抱きしめてきたからだ。 「ん、そのまま、な」 一護の手が頬を滑るのを感じて、恋次は瞳を閉じる。 人間の、暖かい体温に浸るのも悪くないかもしれない。 今なら、子供の間違いに煽られて、甘い囁きの一つでも零してしまいそうで、必死で自制心を利かせる。 それを言ったら最後、終いだ。二度と逃げられない。 いつか別れの時が来ても、自分の心は逃げられなくなってしまうから。 今はただこの体温で自分を慰めて、彼の笑顔で癒されて。 深く眠るように抱擁に沈む。 引き返せない間違いに気付くまで、――――或いは自分がその過ちの泥の底に沈むまで。 詮無い言葉のやり取りと、快楽の一瞬に見抜いてしまう真実の後ろにだけ、この気持ちを隠してしまおう。 もう少年には全て知られてしまったけれど、せめて自分では見て見ぬふりを。 その感情を名付けることだけはしないでおこう。 今は、まだ。 Fin.
たまに余裕の無い年上も可愛いかな、と。
たまに亭主関白もいいかな、と。 ひつじはなんかボイスアクタが数えてくれるCDとかがあるらしいです。 あるらしいとか言いつつ既に手持ちですが何か。 Joyce 更新(2007/11/18) |