「趣味が悪いな」 「放っとけ!大体てめえに言われたくねえ」 「あのなぁ、副隊長ともなると、現世駐在任務ってのもそうそう無いの。指令下す側だからな」 ま、メノス級が出たなら話は別だけど、と言いながら、珈琲をくいっと流し込む。 目を少し伏せて香ばしい香りのマグを傾けている様は、高校生の一護と比べれば、幾らか年上に見えるものだったが、橙色の髪の少年は知っている。 あの中身が馬鹿みたいに甘いことを。 一護も甘いものは好きだが、この赤い死神の甘味好きは更に極端である。 ルキアも確かに甘味好きだったし、現世に来ると二人で甘味屋巡りに行く計画を立て出すし、どこか置いてけぼりの体である。 いや、そんな小さな嫉妬はどうでもいい。 とにかくあの中身は大人の味覚の証明ブラックコーヒーとは程遠い、子供の舌にも滑らかな、甘い甘いホットドリンクなのである。 ミルクを入れていないせいで色だけは黒々としているが、角砂糖を何個入れたか、途中で数えるのが嫌になった。 ただし、そんな細かいところまで目を遣っている自分に一護が辟易しているのも事実ではある。 現世に素っ頓狂な格好で尋ねてきた時は、一護の方が焦ってしまった。 見てくれは確かに強面だし、刺青だし、デカいし、その他諸々あるけれども、よく見ればけして悪い顔立ちではない。 だのに、見ている人間全てを脱力させるような古臭いファッションなど野暮ったいを通り越して、視覚の暴力である。 自然、一護の服で大きめのものを貸したり、資金だけは潤沢にあるらしいので一緒に買いに行ったりするようになった。 今日も買い物の帰りに、チェーン展開している看板がやけに馴染みの珈琲ショップに寄ったのである。 一護はコンビニで暇潰しにファッション雑誌のようなものを買うこともあるし、若者らしく興味もあるのだが、そこまで気を配ってはいない。 大体気を配ると言ったって高校生の身分だ。金が無い。 バイトをするわけでもなく、ある程度受け取る小遣いで、服装に気合を入れるというのがどれくらい難しいことか。 加えて、こういうのも何だが、少年は色気づくのが遅かったのである。 スタイリッシュなものには憧れるが、自身を磨くことに執心するのはナルシストでなければ、見る側の目を意識してこそ。 橙色の髪の少年は、少年時代のトラウマからか、自己を卑下することはあっても、自己愛に溺れにくい人間だ。 そうなれば、見せたい相手が出来なければ、自分を飾ることに執着が持てないのも当然である。 彼には啓吾や水色といった同年代の友達がいる。 二人と遊びに行くこともあるし、時には勉強が忙しいと断ることもある。 気晴らしにゲーセンに行くくらいなら付き合いやすいが、そこまで興味の無いショッピングは気後れするので付き合わない時もある。 二人と一護の決定的な差、それこそが見る相手を意識しているかどうかだ。 水色は付き合っている年上の女性がいるし、啓吾に至っては女の子大好きな側面を隠すどころかアピールしまくっている。 性的な意味合いだけではなく、対象としての「色」に対する興味が一護とは違うのである。 少年期のトラウマからか、女性に対して一線を引くところが一護にはある。 自らが、大事な相手を、特に女性を守れないのではないかという思考の揺らぎ。 それが無意識にちらついていたから、彼は恋愛方面に一歩踏み込めないできた。 ところが死神代行業という変わった報酬の無いバイト、或いはボランティア、しかしながら限りなく高尚なこの行動の果てに、 予想外の相手に恋に堕ちてしまう。 それが目の前の阿散井恋次だ。 鮮やかな紅の長髪をきっと結い上げて、額には濃紺のバンダナを巻いている。 それだけでも目を引くのに、眉の上や首筋に浮かび上がる黒い刺青が、迫力を添えている。 瞳も髪と同じ真紅。 髪や目の色に関しては、一護も日本人離れした特殊な色をしているため、あまり抵抗は無い。 他人に母親譲りのこの色をごちゃごちゃ言われるのは嫌だが、同類の恋次にからかわれるのは嫌ではない。 (絶対にそんなことは白状しないけど) 年下扱いされることは本当に嫌だから、どうしたって噛み付いてしまうが、構われていること自体は嫌ではないから男心は複雑だ。 大体、外見がどうの、という以前にこの男は人間ではない。 尸魂界の死神である。 現世に対する尸魂界は死後の世界だというから、死神である以前に彼は死者なのだ。 それが義骸だ何だと特殊な道具を利用して、自分と同じ世界で生身を持って過ごしているというのだから、はっきり言ってファンタジーだ。 確かに、同性だ何だという禁忌めいたラインが頭を過ぎらないでもないのだが、それ以上に超えるべき壁が大き過ぎて、そこを気にしている暇が無いのが実情である。 好き過ぎて、本体を攻略するのに壁を気にしている暇が無いというのも本音である。 (なんでこんなにハマってんだか) 客観的に見てもいい奴なんだとは思う。信頼できるとも思う。 友情や仲間意識に近い絆で済む感情からはみ出してからは、まさに「堕ちる」という言葉が相応しい勢いだった。 家族以外にこんなに執着する自分を知らないから怖いし焦る。 恋愛にここまで堕ちたことが無いから、こんなに感情が上下するものなのかがわからなくて、何に戸惑っているのかがわからなくて、少年特有の焦りが一護を苛む。 これは自分が彼を好きだからなのか。 そう思うのは、どこかでこの気持ちにストップを掛けようとしている自分がいるのだろうか。 余裕が無いから客観的にも測れないんだよなと思いつつ、少年は適度に砂糖とミルクを入れた珈琲を啜った。 友達とは来ないのに、一緒に買い物に出るのは、一時でも多く傍に居たいから。 元々住む世界が違う相手だから、何かのきっかけで長期的に会えなくなるかもしれない。 そんな不安は漠然としたものだが、持っている。 切迫したものでない分、何をしたらいいのかわからない。 だから、機会があれば時間があれば、できれば一緒にいたい。 そんな風に、多分心の中では思っているのに、口に出せるのは「お前の趣味が悪いから、変な服買いやしねーか不安でついてきてやってんだ」等々碌な台詞が出てこない。 二人きりならまだしも、人前で惚れきっている自分を晒せるほど、一護の羞恥心は欠けていない。 結局そんなくだらない言葉が口をついて出て、軽く口論めいたものになって、恋次が呆れたように先に折れる。 折れる、というより、諦めてくれるというか、甘やかしてくれるというか。 わかっていても素直になれないものはしょうがない。 好きな人間に簡単に突っ掛かっていく自分の幼さを、少年は自覚している。 許されるところすら自覚しているから、最終的に負けてしまう。 「はいはいはい、うるせーなぁもう」 「うるせぇって何だよ、一緒歩く時にそれなりの格好してもらった方がこっちとしても」 「だからお前が一緒についてきてるってんだろ?わかってるから」 「わかってねーよ。大体なんで俺の分買ってんだよ。いらないって言ったろ?」 「付き合ってくれたついで。似合うんだからいいだろ」 「良くねえよ。お前に借り作るのは嫌だ」 「んー、現世駐在やる時はそれなりに特別手当てつくし。現世の貨幣でもな。ぶっちゃけた話、使いきれねぇんだよな」 「勿体無い。ちゃんと上に返せ」 「尸魂界の分の通貨はな。現世のは、基本返さなくていいんだよ」 「なんで?次に駐在する奴のために残しておけばいいじゃん」 「そこはそれ、貨幣用意してる辺りに色々あるもんで。難しいことは俺も知らねえ。多分長期任務だからだと思うんだけど」 「何が?」 「だから、駐在任務ってかなり長いわけ。年単位で済めばいいけど十年単位とかになる可能性もあるだろ。 死神は人間に比べれば長寿……って言い方はおかしいな、まあ、とにかく、人間と同じ時間感覚じゃねえ。 長いこと同じ金持ってるとなあ、その、なんつーの。金の価値が上がったり下がったり、するだろ」 「……インフレーションってやつか?」 「そう言うのか?極端な話、時代が変わって貨幣の形が変わっちまうこともある。 だから基本、現世の金銭支給は払ったら払いっぱなし。 足りない時だけ追加申請するんだ。まあ、尸魂界に帰っちまえば用の無い金だからな、そんなとこズルして貯めても意味ねーし」 「なるほど」 確かにインフレーションにデフレーション、更にはスタグフレーションなど、様々ある貨幣的価値変動と物価を精査して支払が適正かどうかを調べる暇は無さそうだ。 本来的な仕事である魂魄の浄化や虚退治と並行してやるには、少し面倒そうでもある。 「そんなわけだから、貰っとけ。別に新しく申請するほど困ってねーし」 「……そうなら、じゃあ、買ってきちまったもんだし今回だけは貰ってもいいけど」 「可愛くねーな、ありがとうは?」 「後で、てめえの言葉が本当かどうか白哉に聞いて、そんで白哉に礼言ってやるよ」 「……お前……つーか、それはやめろ」 途端に情けない顔になった恋次に、胸のすくような思いがして、珈琲のマグで顔を隠しながら少し笑ってみた。 尸魂界に帰ったら用の無い金だ、という言葉になんだか胸が痛かったので、軽い仕返しだった。 「なーんだよ、ほんとはやっぱ返さなきゃいけないんじゃねえの?焦った顔してんぞ」 「違うっつの!上を誤魔化して小銭手にするような狡いことやらねえよ。ガキじゃねえんだから」 「じゃあなんで白哉に言ったら駄目なんだ?」 「だから朽木隊長って呼べって。あのひと結構細かいこと気にするんだから。……ってかな、本当に言うとして、お前は隊長になんて言うつもりなんだよ」 「え?」 「俺と遊びに行って、俺に服買ってもらいましたって、言いに行くのか?」 「……え、っと……それは」 想像してみるとかなり恥ずかしい。 実際任務についている恋次の立場も無いのだろうが、恋人に物を買ってもらってはしゃいでいるかのようだ。 ……確かに実際その通りだが。 白哉にどんな目で見られるかを考えただけで、頭を抱えた。 その様子を見て、赤い髪の男が苦笑する。 「考えなし」 「うっせ」 「馬鹿じゃねーの。お前がいいって言うなら、言ってみれば?俺はちょっとだけ息抜きしましたって笑って済ませるし」 「言わねえ!言えるか!」 「だろうが。絶対そこからルキアに筒抜けんぞ」 「……筒抜けるとなんか困ることでもあるのかよ」 多分彼に一番近しい幼馴染の名前を出されて、一護は顔を覆っていた手を外して、軽く睨む。 「別に」 「白哉よりルキアのが困るんだ?」 「だから、別に。言ってみたいなら言えば?それとも誘って今度は一緒に来るか?」 「……一緒に来てえの?」 「ルキアが一緒なら、……そーだな、俺だけのがいいかも」 「そーれーは、そーれーは!だったら今度から俺じゃなくてあいつ誘え」 「お前耐えられる?あいつすっげ買い物長いぜ?しかも荷物持ち全部やらせんだぜ」 「…………いつも、そんなんやってんの?」 「まあ、最後に甘いもん奢ってくれたりするからいーんだけどよ」 「ただじゃないんだ?」 「当たり前だ。持ちつ持たれつが基本。一方的に甘やかすような間柄は不健全だろ」 「……十分甘いっつか優しいんじゃね、お前。あいつには」 「冗談。ルキアに言ったらきっと笑い転げるぜ」 「そーかな」 「そう」 「そうかな……」 馬鹿言ってないでそろそろ帰るぞ、とマグを置いて恋次が立ち上がる。 一護は底の方に残っていた珈琲の残りを一気に飲み干して、件の買い渡されたショッピングバッグを手に取って後を追う。 帰るぞ、と言いながらも恋次の足取りは一護の家に向かっている。 浦原商店に仮住まいを世話してもらっている彼は、気心が知れているせいか、一護の部屋を何度か訪れては我が物顔で寛いでいる。 学校から真っ直ぐ帰宅して、階段を上り、部屋のドアを開けた瞬間、予想外に「お帰り」と言われたこともある。 こんなのは、慣れれば良い筈だ。死神連中は案外不躾である。 ルキアが同じことをするのには慣れてしまった。 彼女はもう家族みたいなものだ。 妹とか姉とか簡単に区分できない位置にいる。 ましてや母親の代わりでは決して無い。 一護本人はそう考えてはいるのだが、女性、特に年上の女性に恋愛的な意味でなく弱く、強い庇護欲を示すのは、母親の件もあるからであろう。 気付いていなければ幸福だが、感受性が強いだけではなく頭の回転も早い少年は、自分の過去と対峙する機会も多く、自覚症状もあるらしい。 本来は、この目の前の男だって、ルキアの命を奪おうとしている相手だと思って、対決したのだ。 それがまさか、尸魂界での騒乱が終わってみれば、二人で甘味屋をはしごするような仲だとは思わないではないか。 幼馴染とはいえ、あまりにも仲良く見えるので、少々複雑な気持ちになったことを、少年はよく覚えている。 最初は大事な存在となった彼女を盗られたと、妬心でも抱いたのかと思ったが、しばらくしてから逆なのだと気付いてしまった。 自分には入れない絆、見えない壁。 特に、恋次の方は、あんな風に穏やかな笑顔を見せてくれることなんて―――― (って、まぁ、そりゃあそうだけど、な) 殺し合いから死線での共闘。 やっとそれらを潜り抜けた後でも、短期間に一気に近しくなった彼に、日常どう接して良いかわからない。 彼は多分大人で、自分はまだ子供なのだろうと一護は思う。 単純な礼の挨拶に含まれる、案外複雑な感情の機微、そういったものを拒んで、直接的な言葉を欲しがる。 貰えなければ茶化すか喧嘩腰になるか。 恋次の態度を素直でないものに変化させるのは、大抵一護の余計な一言が原因だ。 そういうことを素直に言い合える間柄で納得できる内はそれでも良かった。 男友達と馬鹿やってつるむ。そんな気安い雰囲気だけでは物足りなくなってからが問題だった。今更どうして良いかわからないのだ。 突っ掛かる態度は簡単には直せないし、それは恋次の方もそうだと思う。 ……と言いたいところだが、多少そこには温度差があるようで。 その場ではわからないことだが、後から思い返せば、もしくは離れている時、恋次の態度の些細な変化を実感してしまって参る。 気付いた時には滅茶苦茶嬉しいのに、そういう時に限って傍に彼はいない。 もう一度会うことになるのがいつかわからないから、どこか不安だから、会った時にはそのストレスを解消するが如く一時にぶつける。 或いは言葉で、或いは身体で。 だから、関係性を成長させられない。 自分より大分年上の筈の、異世界の住人に、少しだけ距離を置かれている気すらして悔しくなる。 釣り合うような大人になりたい。とにかく、最近やたらとそう思う。 一護は自嘲の溜息と共に自宅の鍵を開ける。 家族は皆留守のようだ。休みの日だし、同じく買い物にでも行っているのだろう。 珈琲を飲んできたばかりだが、客人と呼ぶべきか迷う相手に一応茶くらい出そうかと、居間に行く。 その間、規則正しい足音で、とん、とん、と階段を上っていく音がした。 あの図体の割には恋次の足音は軽い。死神連中は皆そうだ。 一護が不思議に思って聞いてみたら、身のこなしを鍛えると自然とそうなるものだと言う。 義骸の中身が魂だけだからだろうか、だなんて夢想していたから、理の適った答えに随分安心した覚えがある。 大体義骸だって、人間と寸分違わぬ作りの筈だ。 余計な心配も大概にしておかないといけないだろう。 茶代わりに冷蔵庫に入っていたジュースと手ごろなところに置いてあった菓子袋を引っ掴んで部屋に戻る。 まあ、菓子は部屋にも常備してあるのだが。 特に今回は、常備してない分まで備えてあるというか。 たまたま示し合わせて買い物に出ることになったので、半ば洒落、半ば割と本気で時節に合わせたモノを用意してみたはいいが、 いざとなると恥ずかしくて渡せない。 どころか、意を決して渡してやろうかと思い悩んで鞄を開けたら、自宅に忘れてきていた。 最悪過ぎる。決心も鈍るというものだ。 (多分部屋に置きっ放しだろうなあ) 机にしまっていた筈だ。 ある意味これは天の采配、慣れぬことはするなという警鐘だと自分に言い聞かせて今日を過ごそうとしたのに、 こういう日に限って、あの男は当たり前のように家に来る。 いつもは用事が済めばさらりと別れを告げて、未練も何も見せないものを。 自分らしくないとは自覚している。 それでもくだらない世間の浮ついた調子に乗って、勢いで突破してしまいたい。 何かの壁を。多分、心が勝手に作った障壁を。 大人とか子供とか成長期とか人間とか死神だとか、そんなのどうでもよくなるくらいに惚れている自覚がある。 何度も言うが、一端堕ちると早いものだ。 その速度が怖くて、ストッパーを掛けている己が乗り越えるべき踏み絵。 ……そこまで構えれば、こっ恥ずかしい気持ちが飛んでいってはくれないだろうか。 一護はもう一度、誰も居ない居間で溜息をゆっくり吐いた。 渡すべきか渡さざるべきか。 葛藤を惹起せしめながら階段を上がると、散々悩んでいた対象――――この場合部屋にいた赤髪の死神――――が、 散々悩んでいた対象物――――この場合死神が手に持っている包み――――を手の平に乗せて待っていた。 何だこの羞恥プレイは。 眩暈を起しかけて一護が扉のところで固まっていると、恋次は彼を放ってベッドに腰を下ろした。 包みはまだその大きな手の平に在る。 「あー……それ、どこにあった?」 「ここ。机の上に置きっ放しだったけど」 今更隠すべきでもない。対象物は、ターゲットの目に触れてしまった。 というか、渡してもいないのに既に取り上げられている。 どうせならここで渡せ、言っちまえ、恥ずかしいのは一瞬だ、と一護が斬月も白い自分もいない内的世界で孤独に戦っているのを他所に、 恋次は手元のそれをしげしげと見ている。 「お前、これ何?貰いもん?」 「えーっと……うー……あぁ……」 「妙な声を出すんじゃねえよ。それとも答えたくねえってんなら、そういう答えで納得するけど」 「別に、貰いもんってわけじゃあ……」 「じゃあ、人にやるためのもんか?」 「まあ……」 「ふーん」 死神は、くるくると手の上で大して面白くも無さそうにそれを弄び、ぽとりと布団の上に落とす。 男の殺風景な部屋に似合わない、少し派手目の包装紙。 橙髪の少年は、あー、とまた唸りながら片手を落ち着き無く首にやってみる。 「っていうか、そこまで聞いて、誰に?とかそういうのは聞かねーの」 「だって俺関係ないし」 その言葉にぶちりと頭のどこかがキレた。 さっきまで悩んでいたのも用意した目的も忘れて、いつも通りの口撃を開始する。 「……関係なくねーよ。お前のだよ。お前にやるんだよ」 「俺?」 「そうだよ!じゃあ、あれだ!買ってくれた服の礼ってことで!」 「じゃあってお前……第一、今日買った服の礼がなんで既にここにあるんだよ」 「細かいことは気にすんな!」 とにかく羞恥が先に立って、顔が赤くならないように必死に気を逸らしながらの言葉は、どこか乱暴。 気づかないで欲しいと考えるのは無謀だ。 けれど、流して欲しい、という望みは案外叶えてくれるから、この男には適わない。 「開けていいか?」 「…………いいけど………」 乾いた紙が立てる音がこそばゆい。 自分の部屋だというのに何だか無性に居心地が悪くて、ドアを後ろ手に閉めながら棒立ちで彼の動作が終了するのを待つ。 二月の半ば、女性が男性に甘ったるい菓子を贈るというどこかの菓子メーカーの陰謀。 外国だと好きな相手に同性とか異性とか恋だの何だの関係なく、親愛を篭めてカードを贈るらしいが、一護が暮らす日本は陰謀から出た風習がものの見事に根付いている。 馬鹿くせえと思う気持ちと、まあ本人たちが楽しいならいいんじゃねえのという気持ちと、男子なら周囲の浮かれた空気に触発されないでもない気持ちと、多分全部ある。 だがしかし、まさか自分が用意する役になるとは思わなかったと一護は思う。 相手は現世の風習には疎い。ましてやその風習は最近生み出されたであろう陰謀の落とし子だ。 貰える確率は、限り無く低い。ならばこちらからくれてやろうという魂胆である。 「……菓子?」 「甘いもん好きだし、お前」 「好きだけど」 「不満かよ」 「いいや、そんなことねえ。ただ、こんな礼の仕方してくれると思ってなかった」 「なんでだよ、モノ貰ったから返した、それだけじゃねえか」 「だってお前が、わざわざコレ用意して寄越すってのは可愛いっつーかなんつーか」 え。 少年が思考停止させている横で、男はくつくつ笑いながら甘味を口の中へ放った。 「甘っ。餡子のが好きだったけど、これはこれで美味いよな」 心底甘味が好きらしい。舌で転がしながら幸せそうな顔になる。 その顔だけでも良しとしたいのに、恋次の発言で凍った頭は笑顔の温かさでも容易に溶けない。 「つーか、な、なんで!?知ってんの、お前、そんなの!?ってか、ほんとにわかってんのか?」 「えーと、ばれんたいん、だっけ?で、これがお前の好きな奴だろ、甘いのとか苦いのとか99%がどうしたとか、こないだ一緒に食ったじゃねえか」 「チョコレートはともかく!なんでバレンタインなんか知ってんだよ、てめえ現世ズレし過ぎだ、死神のくせにっ」 「知ってるさ。だってさっき行った百貨店にもいっぱい女がいて、こんなん置いてあったろ」 「別に通り過ぎただけだろ、一々細かく見てんなよ」 「逆ギレすんな、馬鹿にしてねえだろうが」 「あのな、別にそれに乗っかっただけじゃなくてだな、俺自身がチョコ好きだからな……」 明らかに言い訳がましく弁解を始めた一護を無視して、恋次は二個目を口に入れた。 一護のチョコ好きは恋次も承知している。 だから自分の手元にある箱を突っ立ったままの一護の方に向けて言った。 「じゃあお一つどうぞ」 赤い顔で逡巡した挙句、やっと硬直から動きが取れる機会だと思ったのか、恋次が思うより少年は案外素直に寄ってきた。 「……いただきます」 自分で寄越したものの癖に恐る恐る指を伸ばすから、恋次は笑い出しそうになる。 少年は小さいことでも沽券に関わる、と俊敏に反応するから、笑顔程度で収める。 まあこれでも拗ねる時は拗ねるんだがと考えつつ、ゆっくり観察してみた。 一護はチョコレートを同様に一つ口に入れて、舐めるというより、コリリと一度噛んで、それから恋次を見た。 「大体バレンタインの意味知ってんの、お前」 「何となく?」 「……知ってんの?」 「うん、まあ、お前がいつも言ってくれてるコトと合わせて考えりゃあ、そういう意味かって思うし」 「…………そういう意味で悪いかよ」 「全然悪くねえよ?ま、服どころか、男の趣味のが悪いとは思うけど」 赤髪の死神は子供の視線を受け止めてから、少し柔らかく笑う。 「別に男連中色々見渡したりしてねえもん。そんなん言われたってわかんねえ」 「じゃ、早とちりかもな」 「別に男に興味あるってわけじゃねえから!俺はなぁ……っ!」 「ハイハイ、とりあえず、も一個食っとけ」 もう一つ彼の眼前にチョコを掲げ、あやすように勧める。 不機嫌そうに歪められた眉を見て、男は笑う。 彼が真剣であればある程心地良いと思うだなんて、なんて大人気ないものだと自嘲しながら。 口にチョコレートを投げ込むようにした一護にもたれかかるように、首を傾けて問う。 「なんか、これってお返しがどうのとかあるんだろ?これでお返ししたことになんの?」 一護はちょっと考えてから、恋次が離れないように気をつけて小さく首を振った。 「なんない。ちゃんとお返しの日は別にあってだな、クッキーとかマシュマロとか返すの」 「それっていつ?」 「一ヵ月後」 「わざわざ一ヶ月後に返事すんの?随分気が長えなあ」 「そういう催しなの」 「で、それで返すと、好きだってことになんのか?」 「いや、返すのは礼儀みたいなもんらしいから、別にそれだけじゃ返事したことにはならない」 「ふーん。じゃあ返事はいつすんの」 「チョコ渡した時でいいんじゃねえの」 「今ってこと?」 「まあ……そう、かな」 「それじゃ、ありがとな」 「……何が?」 「くれたから、コレ」 「だから、俺のはそこまで意味深いもんじゃなくて、その、せっかくだし、美味そうだったし……」 「うん、美味かったから礼言っただけ。気にすんな」 「……」 「嘘だって。何かわいそーな面してんだよ。ありがたく貰っておくって」 「……」 「本格的に拗ねんな馬鹿」 「だって、いや、いいって。別に」 「ったく、しょうがねえな……一護、顔上げろって」 顎の下に大きな指を感じたと思ったら、首が自分の意思とは違う動きで上に傾いた。 そう思った次の瞬間、唇の上にチョコの香りと見知った感触が乗って、体温が上がる。 体だけではなく、心の中までぐらりと温まって、弱音混じりの甘えが零れる。 殆ど吐息に近い問いかけで、多分言葉の断片にもなっていなかった一護の言葉を、赤い死神は空気の中からひょいっと拾い上げた。 「ん?」 「……へんじ」 「返事?」 「ありがとうだけじゃ、わかんねえ」 目元を赤くして俯く少年の頭をくしゃくしゃに撫でる。 優しく顎を上げたのとは逆に、顔を上げないように大きな手が橙色の頭の上で動く。 苦笑にも似た自分の破顔を見られないようにしながら、恋次が言う。 「……ばーか。欲しくなかったら最初っから貰わねえから安心しとけ」 Fin.
とあるギャルゲの赤髪赤目トゥンデレ女子に
「(あたしなんかを選ぶなんて)趣味悪い」という趣旨のことを言われ、 恋次さんに言わせてみてえもんだと思いました。 普段イヤイヤだけど内心ノリノリは恋次さんの基本姿勢と信じて疑わない。 イヤイヤどころかうちの恋次さんは甘やかしまくりですけど。 年下の彼氏にベタ惚れ過ぎですけど。 Joyce 執筆(2007/02/12〜13) 更新(2007/02/13) |