一面の黒い世界。

後ろに立つひとのことを考え、恋次は小さく身震いする。
下唇を無意識に噛んだ。
胸に流れる感情は愛し過ぎるがゆえの心を妬く痛みか、それと憎しみの炎が作った火傷か。
きりきりと痛むこの感情を認識するのが怖い。
戻れなくなりそうで、怖い。

「三でも五でも九でもいい、とはよくも言う」

耳に滑らかな低音。
続いて伸びる暖かな指先が耳元を掠める。

そのまま前に回された手が、大きな体躯ごと胸元に攫う。
眼鏡の奥の、鳶色の瞳が、自分だけを映すのを見て少し泣きそうになる。

これはただの夢だ。

「本当は、斑目君に五番隊の隊長になって欲しかったんだろう?」
「今はそんなこと言ってる場合じゃねえ、大体アンタの跡目と決めて一角さんを置く理由もねえ」
「素直じゃないね……」
頬を滑る手が、首筋を、鎖骨を滑る。愛撫にならぬ淡い仕草。
相手の体温が夢に思えなくて、背に在る存在を夢と思えず、赤い瞳が歪んでいく。

「斑目君を慕っている君だからこそ、彼を五番隊の隊長に置きたいくせに」
「だから、そんな理由なんか……!」
「慕っていた僕の代わりになれるのは、その条件を満たすだけの人材は彼しか居ないから。 僕への思慕を、全部、師匠への素直な気持ちとして置換してしまえるから」
「…………もう、やめろ」
「それでも、三でも、九でもと言う。意地っ張りなのかな。 それとも、君はまだ、僕が帰ってきて五番隊の隊長の座に納まるとでも?」
「…………やめろ、やめろ、もう黙ってくれ!!」

叫んだ声ごと包むように、両腕で柔らかく抱き止められる。
「なんで、アンタは……」
どうかしたかい、と聞き返す声は暖かい。
甘い鳶色の瞳は、どこか冷たい色を宿していても。

「どうして、毎夜の夢の中でさえ、俺のことを苦しめたがるんだ」
「君が、現実で僕以外を選択すればいい。ただそれだけのことだろう?」
「雛森なんか、ずっとアンタの夢を見続けてる。絶対だ。どうして、本当に、こんなこと」
「君に逢いたいから」
「そうじゃなくて!」

振り向いて、失敗したと思った。
彼の瞳の優しさに、囚われる。

「それ以外に理由なんて要らない。そうだろう、阿散井君」
「……」
「君だって僕を望むんだろう?」
「……」
「素直になりたまえ。ここは君の夢の中だ。君だけの世界だ。誰にも邪魔されることはない」
「……」
「現実に居ない僕を求めるのだろう?だから僕はここに呼ばれるんだろう? だったら、答えは一つだ。君は、僕に縋ればいい。甘えればいい。抱かれれば、いい」
「……」
「……本音を曝け出すのは、苦手かな。だったら態度で示しなさい」

寄り掛かる体重を止められなかった。
この男の両腕が欲しかった。

死神となって四十年、大事な少女を護るためだけに走った道程。
その途中、思いがけず、自分を癒し、励まし、彼女へ届かぬ焦燥を慰めてくれた存在。
焦燥を、消してしまうのではないかと自分でも危惧するくらい惹かれていた相手。

厄介者だとか、手駒の一つだとか酷い言葉を面と向かって言われて。
そればかりか実際に、刃で殺されかれてさえ、臓物を抉られてさえ。
この男の両腕を振りほどけない自分がいる。
この暗い世界の中、ただ一人では、闇の中、何も見えない。
深く抱き込まれて、膝から崩れ落ちそうになる。
もう全部忘れたい。
だって現実には貴方は居ない。

視界が静かにぼやけていく。

「……っい、ぜん、隊長……」

掠れた声に呼ばれた男は、声を緩めて囁く。
君の傍に居るよ、と空言を幻の恋人が紡ぐ。




Fin.




Wii『白刃きらめくロンド』の、阿散井エピソードを曲解して小話。
阿散井エピソードは、藍染騒乱後の六番隊副隊長が毎夜悪夢を見るという設定。
何その乙女っぷり、とテンション上がったので書いてみました。
隊長居なくなってからわざわざ見る悪夢って言ったらコレだろ!的な。

夢に関わる主要なキャラクタに関しては、今度作る一恋話の方に絡めたいと思っています。
ごめんな蛇尾丸(ゲーム設定ネタバレ)
ていうか三でも五でも九でもっていつ言ったんだろうと単行本読み返したけど不明だったので、
騒乱後の忙しい時期(一護帰る前とか)ということにとりあえず脳内設定完了。
単行本の誤字「愛染さん」が割と好きです。愛溢れすぎだよ恋次(笑)

Joyce
執筆(2006/12/19)
更新(2006/12/20)



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