寄るな触るな、てめえら全員死んじまえ。

寄ってたかって一人を殴るなんてみっともねえ。
巨悪――あえて言えばメノス並の虚――に立ち向かう英雄だの死神だのなら 矮小な力束ねて、ぶっ倒す相手を団結して睨み上げるくらいのことはいい。
戦う前に円陣組んで、護廷十三隊伝統の儀式でもやって士気でも高めりゃいいってもんだ。

だが、てめえらの前にいるのは俺一人で、それも隊長でも副隊長でもなく、 大して誇れるほどの官席持ってすらいねえ、一死神の俺だ。
お前ら情けなくねえのか。
気に食わないってんで喧嘩ふっかけられてんなら上等だ、買ってやる。
いつだって買ってやろうじゃねえの。
大方こないだ飲み屋で柄が悪いの二人ばかし絡んできたからぶっ倒したのが気に入らないんだろう。
顔の形が変わるまで殴ってやったから、後ろの方でひしゃげた顔のままこっち睨んでやがる奴に、見覚えがあるんだよ。

だからってお前ら、さすがに逃げ道全部塞ぐほどの大人数かき集めて寄って集って、だと?
何が死神だよ、何が護廷十三隊だよ、てめえら戌吊の連中と何にも変わらねえじゃねえか。
どこが同じかって、発想が。
タコ殴りにしたいのかと思ったら、これかよ。
藪ン中連れ込んで、どうするだって?あぁ?
屈辱を感じさせる?お上品な言い方してんじゃねえよ。
十数人で囲んで、どうすんだ。言ってみろ。朝まで時間割いてくれるのか?
それとも早漏ばかり集めたか。数人が俺と遊んでくれて、残りは見物?
頭の悪い野郎どもだぜ。そんなことして、憂さ晴らしになるとでも?

俺みたいな貧しい出の者より、下級以上とはいえお貴族様が多い統学院。
そこを卒業して死神になるのが、最も平凡な死神のなり方。
だからここにいる死覇装纏った馬鹿どもも、それなりの家のやつが多いんだろう。
でも考え方も大して変わらない。
無駄にプライドが高いくせにガキくせえし、救いが無え。

俺が経験した戌吊の暮らしは下の下だったし、ガキが売り飛ばされるのも当たり前だった。
仕置きと憂さ晴らしの代わりに数人で囲んで犯っちまうなんてザラだった。
殺されないだけマシって考え方の奴もいたし、それだけは御免だ、って舌噛んで死ぬ奴も居た。
そのまま売り飛ばされた奴もいたし、自発的に売れるモンは売り始めて幾許かの金を手にした奴も見た。
周りはいつだってそんなで、金さえ手に入りれば、もっと言えば少しでも生きるための手段があれば何でもやるような極貧生活。
食えるモンは何でも食ったし、何とか生きても、また地獄みたいな日々が始まる。
一人、一人仲間が減るにつけ、こんな暮らしは真っ平だ、上に行きてえ、少しでもマシが生活がしてえ、 それで死神になったんだ。生きるためだ。上等な暮らしを手にするためだ。
上等な暮らしってのは、俺にとって、贅沢する暮らしってわけじゃない。
泥水じゃなくて、綺麗な水を、残飯以外の白い米を、口にできる生活。
正当な努力の対価として、理不尽な暴力に怯えずに済む日々。
それだけ。たったそれだけ。

勧善懲悪とまで言わない。
自分にできることを、間違っていないやり方で、法則に則って、虚を退治して、それで望んだ生活が手に入るなら、 信じられない幸運だと思った。
しかもそれを実現するための力の萌芽は自分とルキアにあったから。

上に上りたい欲求はある。
最初はそんなものにしがみつく気は無かったのに。
今は、ある。それだけの理由がある。

それなのに、爪を壁に引っ掛けながら這い上がるように苦労してやってきた場所もこうなんだ。
子供の頃、必死で頭を働かせて大人の理不尽な暴力と戦った。
仲間と協力することで、経験を生かすことで、何より諦めないことで。
瀞霊廷の中の暮らしにただ憧れた。綺麗な別世界だと思ってた。
大人になって、この中で生きるようになって、仲間に知らせずに済んだ残酷な事実を知る。
人間、どこで生きてても腐る奴は腐るもんだ。

右腕に一人、左腕に一人、右脚に一人、左足に一人、残りの奴らはにやにや笑いで眺めてる。
大の字に寝た男見下ろして気分いいか?いい趣味じゃねえ。
怯えない俺に顔のひしゃげた男が寄ってきて、生臭い息を吐く顔を近づける。
後頭部をぐい、と掴まれて視線を無理矢理合わされた。
俺は――――怯まない。
一度ぶん殴った相手に怯むほど、腰抜けのつもりじゃねえから。
その睨んだ目が気に障ったのか、後ろ髪掴み揚げられ、地面に叩き落される。
髪紐が解けたのだろう、視界が真っ赤に染まった。血でなく、自分の髪だ。
視線を阻むその髪を片手で無造作に掴むと、覗き込むように男が笑う。

何か汚い言葉を吐いてはいるが、俺はもう無視することに決めていた。
今はそんなくだらねえ話に付き合っている暇は無え。
適当に突っ張った台詞を口が返してはいるが、目線は今の状況を見定めるに精一杯。
気安く犯られてやる気は無えんだよ。

がっついて首筋舐めてきた馬鹿の耳を千切れるくらい勢いつけて噛んだら、 予想以上の反応してくれて、襲われてた側の言うことじゃねえが、ちょっとばかし面白え動きしてくれた。
俺を殴りたかったんだろう、だがその手の先は両脇に居た仲間の顔に上手く当たった。
俺にとっては幸運、被害受けた野郎には不運、ばっちり手が目に当たりやがった。
両足の束縛が軽くなる、右手も動く。
その手を目一杯動かして、左手を拘束したまま、唯一頑張ってた男に叩き込む。
他人の顔に指がめり込んだ感覚。悲鳴。手が何かの体液で濡れた。
血とか唾液とか粘膜とか考える間もなく、軽くなった体を跳ね起きさせる。
運がいい。体当たりして囲みを突破する。
立ち塞がった野郎に拳を叩き入れ、そいつを踏み台に少しだけ跳んだ。
着地点にいた男の喉元に蹴りをくれた。
捕まえろとか言われてる間に、何人かに着物を掴まれたが、上手く身体を捻って振り切る。
振り切れない分は、逆に相手の着物を掴み、引き寄せ、重心を崩した後に鳩尾に肘を入れる。
目の前にいた最後の一人の手が伸びてきた。叩き落して、顔面を掴むようにし、再び跳躍。

後は簡単だ。
わざわざ藪の中に連れてくれて来てありがとうよ、一人対大人数、姿を隠せば勝ちは俺のもんだ。
全員倒してやる、だなんて威勢のいい台詞吐けるほどには余裕は無え。
今は何とか、何とか逃げなくちゃ。
子供の頃みたいに、思考が疾走する。
生きるためだけに、無事に逃げるためだけに、安全を確保するためだけに最適な選択を。

竹薮の中、足音消して走るのなんて無理だ、まずは遠くへ。
足音と怒号が遠くなったら、やっと様子見ながら、姿を隠す。
へたり、と座り込んで、息を吐く。
今更殴られた頬が痛えと思った。


遠い山狩りの音、まだ探してやがる。いい加減諦めろよ。
目を瞑って、霊圧消して、でも相手の霊圧探ることは忘れる訳にはいかない。
それだけやって、竹の葉がさやさや言う、暗い闇の中で朝を待つ。





……いなくなったか?
しばらくして辺りが静かになる。
いや、まだ油断はできない。
去ったと見せかけて、炙り出す気かもしれない。
頭の中は、完全に戌吊の狭い路地を逃げるガキに戻っていた。
被略奪者の記憶は消えない、絶対に、いつだって、目の前の安全に確証など持てない。
自然、疑い深くもなる。
霊圧を探っても、気配の一つすら感じられない。
隊舎に戻るべきか、このまま朝を迎えるべきか。
判断に迷いながら、視線を前に向けた時だった。


りぃん、と鈴が鳴った気がした。
瞬間、その光景に色がつく。
暗闇の中でぽうっと一つだけ明りが灯る。鬼火の如き静かな光。
え、と思った。
そこには誰もいないのに、いる気配がないのに。
視覚が何かを捕らえる。
桃色の髪の、童女。

彼女が、ゆっくりと俺を見て、視線が交わるかと思った刹那――――
かき消える。
目で見たものが信じられなくて、瞼を擦る。何も居ない。光もない。

「何だ、今の……」

思わず声に出した瞬間、背後から、絶対的なまでに凶悪な霊圧を叩き付けられて、呼吸が止まった。
身体が勝手に震え出す。指先が、意思とは関係なくぶるぶると動く。
気が狂いそうなほどの恐怖が背面から俺の全身を包む。
何だ、これ。何だ、何、何、何。
訳が分からないながらも、多分頭の一番奥、原始の部分が逃げろと言う。
四肢を絡め取る畏怖はその命令に従わない。竦んでしまっている。

ゴオ、と燃え盛る炎のような音を聞いた気がした。
鼓膜まで刺激する圧倒的な霊圧。これは何。
炎の鳴く音に続き、藪を踏みしだく足音ががさりと混ざる。
容易に定まらぬ視界をなんとか後ろに向けたくて、向けた瞬間死にそうで、それでもゆっくりと。
首をゆるゆると後ろに向けて、徹底的な強者の正体を――――

「さっきまで騒がしかったのはてめえか?」

振り向いたのとは反対の方向、童女がいた方向から声がして、びくっと全身が震える。
途端に動けるようになった体で距離を取るように後ずさった。

痩身ながらも、巨躯。一つの瞳しか持たぬ、飢えた獣。
誰も知らぬ筈の無い、だが理解のできない恐怖を携えた死神がそこにいた。

護廷十三隊中、最強の十一番隊。
その隊長、更木剣八――――。

俺は余程驚いた顔をしていたのだろう。
十一番隊隊長は、無造作に首元に手をやりながら、俺を値踏みするように、見下ろす。
闇の中、男の影で一層世界が暗くなる。
酔ってしまいそうなほど強烈で凶悪な霊圧に眩暈を起しかけ、くらりと自分の頭が揺れたのが感じられる。
まずい、このままでは気を失う。

その男は、確固たる敵ではなかったが。
およそ味方とはいえない研ぎ澄まされた殺気を、鋭く放っている。
ここで気絶するのは、どう考えても得策ではなかった。
更木隊長、と声をひねり出そうとした顎を大きな手が、乱暴に掴んだ。

巨躯を屈めるようにした男は、俺の喉を握りつぶすような勢いで、睨む。
鋭敏な霊圧に、息も出来ねえ。
近さの中、遠くから歌うように、不思議な感覚で声が届く。
じろり、と目玉が動いて、全身に視線を浴びる。
指先まで痺れるほどの圧力、殺気。視線そのものが斬魄刀であるかのような、苛烈な気配。
喉元までじりじりと這い上がったその視線が、自分のものと合い見える。
く、と喉が勝手に鳴った。
苦しくて、口を開け、浅い呼吸を一つした。

酷薄そうな唇の両端が、目の前で吊りあがる。
凶暴な獣が、嗤った。


「……とんだ夜鷹だ」


一瞬意味が理解できなくて、それから、震える視線を自分の胸元から下に降ろして揶揄の意味を遅まきながら理解する。
殴られた頬の傷、擦過傷、淡く滲んだ血、乱れた死覇装、だらしなく緩められた髪、両手両足に残る指の痕。
みっともない有様だ。
だが、これは逃走の代償。
見下されても価値のある代償――――
……いや、違う。
戌吊にいた浮浪児紛いの子供の時代ならともかくも、力を手にしなければならない俺が、みっともなく生に縋りついたところで価値がある筈も無え。
上手く逃げ切った。ただそれだけの結果論。

弱さを露呈して、今の自分には彼女に手の届かないことを自分自身に知らしめただけの結末。
誇る価値などありはしねえんだ。
急に重くなった頭に、思わず両手を添える。

「あっちで何人か、威勢のいい馬鹿野郎どもに擦れ違った。おめえの『客』か?」
「……そ、うですね。『客』です。言わば、招かれざる『客』ですけど」
ようやく呼吸ができるようになり、与えられた軽口に、反射で応酬する。
「前金弾むって息巻いてたぜ」
「後金もでしょう……ったく、嫌ァなもん誘っちまいましたよ」

殺気が、消えていた。解放されるように、俺は体重を後ろに倒す。
太い竹の一本が、中途に体重を支える。
ぐらぐら揺れる身体は疲労と緊張で脱力しきっていた。
荒い呼吸が何度か繰り返されて、やっと楽になる。

「うちの隊の若いのも、いた。良く逃げ切ったもんだな。総勢十四名。半分くらい立てねえみてえだった」
「……無我夢中だったもんで、隊章の確認はしませんでした」
言葉を捜しながら改めた口調で相手には伝わったらしい、つまらなそうに手を振られる。
「ああ?違えよ。責任取れって言ってんじゃねえ。大体俺はそんなくだらねえ揉め事にゃ関わりたくねえからな」
俺は、不審に思って見上げる。
「最後、逃げちまったところは惜しいが、威勢よく半分倒せたは上等。チラッと見てたが――――いい動きするじゃねえか」
ただの夜鷹にしとくにゃ、惜しい。そう言って、黒い巨躯は顔を歪めて笑う。
言いたい意味がわからない。
疲れきって、それとも超絶に強い力を前にして、脳のどこかが諦めたのだろうか。
思考は停止したように、ただ、自分を維持するために、男から視線は外さない。
「いい眼だ」
真意を探ろうと獣の瞳を覗こうと、そこにあるのはただ本能。
暴虐の黒さは何も伝えては来ない。ただ、彼に何か欲求があることは確かだった。
強い視線は、いまだに俺を射ている。
四肢を押さえつけられていた時以上に、彼の視線は四肢の一本一本に太い矢を打ち込むが如き強さで、俺を屈服させる。
動くのは、首と、まだ睨み返す力の残っている眼球のみ。


男が、薄い唇を早口に動かして、何かを言った。
「やちる」
俺はそれが何だかわからなくて、問い返そうとした時、男の隣に一つの存在が現れたことに気付く。
「なぁに、剣ちゃん」
甘い桃色の髪の童女。さきほど見た子供だ。
――――そうだ、どうして気がつかなかったのだ。
あまりに希薄な存在に、気付けなかったが、このひとは。

「こいつ連れて帰るぞ」
「えぇ?剣ちゃん、拾い物なんて珍しい」
「悪ィかよ、面白そうだと思わねえか」
「んー……真っ赤っ赤な見た目は、派手でキレーだし、嫌いじゃあないけど……」
ちろ、と童女は俺を見た。
俺は、何故だか背筋がぞくりとするのを感じた。
この童女は十一番隊副隊長、草猪やちるだ。
隊長とは正反対に殺気を見せぬ、気配すら皆無。
それだけで手練とわかるが、今の視線には、何か。
貪欲に存在を食い尽くすほどの圧を持つ更木隊長とは正反対の、拒絶するような、清廉と言えるまでの視線。

更木隊長は、彼女に、悪そうな破顔を見せた。
「玩具にしたら、面白そうだと思わねえか」
「……おもちゃ?」
「そう、俺と、お前の」
お前の、と言われた後、童女の気配が僅かに綻んだ。
彼女は一転、花のような笑みを見せ、軽やかに更木剣八の肩に飛び乗る。
「そう、それ、面白そう」
「だろう?」
何らかの合意が得られたらしい。
思考がまだ半分停止したままの俺は、いきなりの浮遊感を味あわされて狼狽する。

一気に男の肩に担ぎ上げられたことに気付き、仰天する。
何だ、何だ、この状況。
連れて帰る?おもちゃ?この男は何だと言った?
「えっ、えええ!」
「うるせえから耳元で騒ぐな」
「あは、お持ち帰り、お持ち帰り〜」
少女は俺が担ぎ上げられたのと反対の方で鈴が鳴るようにころころ笑う。
「お前もはしゃぐな」
「剣ちゃんだっていいおもちゃ見つけて嬉しいくせにー」
「だから、うるせえよ」
少し男は楽しそうに笑う。童女の言葉は否定しなかった。
「あっ、あの、更木隊長?」
「てめえ、所属はどこだ?」
「ご……五番隊、です」
弛緩した肉体は確かに限界を訴えてはいたが、歩いて帰れない訳じゃねえ。
まさか、そんな心配をされるわけでもないだろうが。
「はっ、温厚な藍染の隊なんて、退屈だろ?」
「え?」
「まだまだ未熟だが、気に入った。俺んとこ来い、嫌になるくれえにはしごいてやるよ。その弱さでてめえがおっ死ぬ前に」

痛いところをつく。今の俺には力が足りない。
彼女に届きたいのに。彼女を守れるだけの、取り返せる、だけの。
ただ力を。

「強くなりてえって顔をしてる。そういうのは嫌いじゃねえ」
男はそう言い切って、風の速さで夜の闇を駆ける。
近くで幼女の笑い声が響くが、ここまで高速の瞬歩に慣れていない俺は、つまりは舌を噛まないようにしがみつくのが精一杯。
そんな俺を見て、草猪副隊長がおかしそうにまた笑う。
「あはは、はは、怖くないのに。楽しいのに」
何が楽しいだ。目を開ければ、さっきまで無かったはずの障害物が角膜の前に迫っている恐怖。
粘膜を削り取られることを恐れて、中々眼が開けられたもんじゃねえ。
更木隊長の肩に指を食い込ませるほど力を篭めると、低い声で皮肉が投げて寄越される。
「『客』が減るぞ。俺みてえに痛みに慣れた相手ならともかくも」
降ろしてくれれば、何の問題も無え。
そうは言いたかったが、喉元を掠める鋭利な折れた竹を見て、思わず口を噤んだ。
この速度で振り落とされたら、多分、冗談じゃなく死ぬかもしれない。

見慣れぬ十一番隊の隊舎の前に来て、やっと速度が緩む。
多分俺は涙目だった。は、は、と息も荒く、むしろ今の移動で死にそうになった気さえした。
入り口のところに誰か隊士が立っていたらしい。
副隊長はただいまぁ、と明るい声で先んじて挨拶していた。
隊士の緊張した出迎えの言葉に、更木隊長はぞんざいに返す。

その辺りで降ろされるものだと思っていたのに、そのまま隊舎の中まで入っていく彼らに三度仰天して、遂には声を上げた。
「隊長、あの、俺」
「黙ってろ」
「だって、ここ十一番隊の」
「てめえ頭悪いのか?てめえは当分俺とやちるのもんにしてやるから有難くその境遇に従えってことだ。従わねえなら、……さて、どうするか」
男は軽く笑って童女に残りの言葉を託す。
幼い姿の副隊長は、細いというより小さい人差し指を顎に当てて、首を傾げる。
「ムキになるひとって、殺すって言ってもあんまり言うこと聞いてくれないし。殺さば殺せ!って言われても、ね。腕一本取っちゃうよ?とかの方がいいのかなあ」
「だとよ。お前自身の意見はどうだ」
「どう、って……」
「大体藍染の隊に固執してたら強くなるもんも強くなれねえぞ。あのお優しい隊長様は部下想いで有名だからな。浮竹並に」

確かに。
藍染隊長のことは慕ってはいるし、仲間といる五番隊の居心地はとても良いものだった。
ただ、着実に強くなっているにしても、その生温い環境の中にいると、自分の芯が腐ってしまうような気がして怖いことはある。
今は一分一秒、強くなることを急がなきゃならねえのに。
こんな状況では、何百年経っても、朽木の名に届かないのではないかと怖く感じることもある。
その焦りで、売られた喧嘩を買い取る速さに拍車が掛かっていることも、間違いじゃなかった。

「利害は一致してねえ筈がねえんだ。てめえの目がそう言ってる」
「……」
見透かされている。
獣の瞳は真理を見抜いて、一番弱い箇所に的確に噛み付いてくれた。
鋭い牙は喉の皮を引き裂き、破いて激情の血を滴らせる。
「反論させる気はねえ。てめえは俺が貰い受ける。藍染には明日話す、今日から十一番隊だ」
「今日から……って」
「今日から。荷物とか明日でいいだろ。そんなぼろっぼろの体だしな」

ぼろぼろなのには反論のしようが無え。この状態では俺自身が獣に狩られて持ち帰られた獲物のようなもんだ。

丁度いいところに、と声が聞こえる。隊長が誰かを見つけたらしい。
肩の上で、顔を上げると、確かに視線の先に一人の男。
……男、だよな?
一瞬迷うくらいには、少し女性的な面立ち。
荒くれ者が集う十一番隊にはあまり似つかわしくない容貌だが、視線が合うと、その男も少し不審げな顔をした。

「これはまた……面白いものをお持ち帰りですね、隊長」
語尾が跳ねるように、甘えるような不思議な喋り方をする男だ。
「ちかちゃん、あのね、剣ちゃんがあたしのおもちゃにくれるって」
「それは良かったですね、副隊長」
人権など無視した酷過ぎるやり取りの合間、突然重力を感じて、床に落とされる。
「痛えッ!」
脇から落ちて、肋骨の辺りがぎしりと軋んだ。床とはいえ、全く覚悟していなかったから痛え。
「弓親、後は任せる」
「こちらのお土産は、草猪副隊長の玩具でよろしいのですね?」
悪戯そうな光が、隊士の瞳に灯る。
俺が持ち帰ったんだし、俺のもんでもあるぞと早口に言いながら、更木隊長は男の横を通り過ぎた。
その肩にはまだ童女が乗っている。彼女はそっと振り向いて、ばいばい、と俺に手を振って見せた。
「了解いたしました」
やけに楽しそうに、若い男が返した。


「久しぶりだね、直々に隊長が連れ帰ってくるのなんて」
いきなり通されたのは、湯屋。
あまりに酷い俺の様相を見かねたのだろう、説明もなく連れてこられたのがここだった。
隊士用なのだろうが、深夜に近い今は人がいない。
「名前は?」
「阿散井、恋次です」
そういえば、連れ帰られたが、名前を聞かれたのは初めてだということに気付く。
藍染隊長に明日話をつけると言っていたが、名前も知らずにどうする気なのだろう。
まあ、赤毛で全身に刺青をしている死神なんて、五番隊では俺しかいないことも確かだし。

藍染さんの下から、異動か。
実現したら初めての異動になる。幾許かの感慨がないわけではない。
藍染さんを慕っているつもりだし、仲間もいるし、だけど。
自分にとって一番大事なものは。
とても大事な少女の瞳を、ふと、思い出した。

「そう、阿散井と言うんだね。僕は綾瀬川だ。綾瀬川弓親。十一番隊の五席をやってる」
線も細そうなのに、席官なのか。強いひとなのだろう。
激烈な殺気を放っていた更木隊長の霊圧に当てられたのか、俺の霊圧探知能力は完全に麻痺してしまっていて使い物にならなかった。
「綾瀬川さん、ですか」
「うん、下の名前でもいいけれどね。君はよく見ると、結構整った顔立ちをしているし」
意味がよくわからなかったので、首を傾げた。
何だか、妙に可愛い笑い方をして、こちらを見られる。何だろう。

「そんな顔してるし、気も強そうだし、もろに隊長の好みだから。てっきり夜伽相手として連れ帰ってきたのかと」
「な……!」

飄々と言われた言葉に、俺は思わず絶句する。

「一瞬思ったんだけど、そうじゃないみたいだね。良かった」

女性的だと思ったけれど、もしかしてこの男は。
「良かった」の言葉の意味は、もしかして、隊長の。

「ああ、『良かった』っていうのは、妬いていたから安心したという意味ではないよ」

思わず胡乱に見てしまった不躾な視線を、彼は軽く笑って受け流す。
まあ確かに、そんなに簡単にそこらの男に身体を触らせるのなら、少しは妬いてしまうんだけど。
否定したくせに、小声であっさり妙な言葉を吐く。この男、一体何なんだ。

「まあ、君としても、いきなりそんなことになったら大変だろうし」
「あ、当たり前だ!」

夜伽相手に連れ帰られるだなんて、まさか、まさか、まさか。
いや、綾瀬川さんも否定しているし、多分それは違うんだろう。
女性のような細面で、彼は押し殺した笑いを舌に載せる。

「何が大変って明日で君の命が終わってしまうことになるからねえ」
「命?」
「そう、命」
「隊長のことをすぐ傍で想っているひとがいるからね。そんなことになったら一晩、隊長の腕の中にいる間は安全でも、 そこから抜け出た翌朝には、血の海に沈んでいるだろうさ」
「……傍って」

普通は、妻、恋人や情人を思い浮かべるのが適切なのだろう。
それなのに何故か、俺は、あの桃色の童女を思い出していた。
一瞬、冷たく俺を見据えた彼女の、瞳は幼い子供のそれではなく。
一個の人間として、何かの存在を許さぬ、拒絶の意思を秘めた視線。

あたしのおもちゃ、と強調していたことを思い出してぞっとする。
つまりあれは、自分が玩具を手に入れて喜んでいたのではなく――――
更木剣八に専有されなかった俺の存在への歓びということか。

「さぁて、誰のことかなぁ」

男は甘く笑って惚けたが、直感的に見出してしまった真実を忘れることはできなかった。
妙なところに来てしまったようだ。冷や汗が一筋、背を流れるのを感じた。
固まっていたのを見越されたか、先輩隊士は笑顔のまま、促してくる。

「さ、入って入って。僕は君の寝る部屋を準備してくるから。着替えは君が出る前には持ってきてあげる」

そう言って置いていかれたので、仕方なく言われた通り無人の湯に浸かる。
傷に沁みるが、泥に塗れた部分は手当て代わりに洗わなきゃならねえだろう。
薄い皮と肉の合間に入り込んだ砂粒を取り出すときには、殴られる時とは違う嫌な痛みを感じたが、仕方無え。

湯上りに髪に纏わりつく水をぞんざいに拭きながら見回すと、着替えを見つけた。
その濃灰色の浴衣に袖を通していると、張り付く視線を感じてそうっと振り返る。

にっこり笑う童女がいた。気配は無い。あえて言うなら、直感。
夜道の背後に危険を察知するような感覚で、振り向いた先で柔らかく笑う彼女。
その姿を見た途端、更木隊長に強靭な霊圧を叩きつけられた時のように、心臓を素手で握られたような、息の詰まるほどの驚きを覚えてしまう。

「ふ、副隊長……」
「えへへ来ちゃった」
「……えーと」
「あのね、お着替え持ってきてあげたの」
「……これですか。わざわざ、……ありがとうございます」
「ううん、いいの。お話したかったから」
「話……っすか」

先ほどのやり取り、それから連想した薄暗い妄想を頭から追い出して、冷静さを取り戻す。
鈴の鳴るような幼女の声を聞きつつ、帯を巻く。

「うん、ちかちゃんがね、今日お部屋探そうとしてくれたんだけど、もうまっくらでしょう。だから明日でいいよって」
「そうっすね……五席にそんな雑務頼むのはかなり申し訳ないと思ってはいたので」
「いーのいーの。無理矢理連れてきたの、剣ちゃんとあたしだし!だから、今日はあたしが面倒見てあげる」

背の小さい彼女に合わせるように、着替え終えた俺はしゃがんで視線を合わせる。
「副隊長が、部屋探してくれるんですか?」
問いかけると桃色の幼女はぷるぷると首を振った。
「んーん。そういうのはちかちゃんが明日、誰かに頼んでくれると思うし。今日は一緒に寝よ?」
「副隊長の部屋で?」

これだけ幼ければ彼女の言葉に後ろめたいものは無く、好意と見るのが妥当なのだろう。
少なくとも俺は疚しく感じるような性癖はない。
それより、先ほどの恐怖がぞろりと蘇って、風呂上りの熱い肌の上、無闇に冷たい汗が湧く。
恐ろしいので、とりあえずは、……遠慮してえところだが。
上官命令だと考えると……。
返事に迷っている俺に、副隊長は死の宣告のような言葉を付け加える。

「剣ちゃんの部屋で、三人で寝よっか」

可愛らしい声で言われた言葉に頭を殴られたような衝撃を受ける。眩暈がした。
前言撤回。上官命令だとしても勘弁して欲しい。
床でいい。地面でいい。十一番隊隊舎の前の路傍でいい。
そんな恐怖に身を投げる勇気は、俺にはない。
強くなっても、多分、一生。

「ヒラどころか、今日入隊したばっか、ですし……」
「だから、歓迎するために。いや?」
「嫌、というか」

物凄く、嫌だ。

「むしろ、申し訳ねえです」

正直に言うことも憚られて、作り笑顔で答えてみると、彼女は唇を尖らせる。

「むー、つまんなぁい。剣ちゃんが怖いの?」
「それも、無えわけじゃねえんですけど」

どちらかと言えばより怖いのは。
再び竹薮の中、存在を拒絶する幼女の瞳を思い出す。
愛らしくくりくりと動く今の彼女の瞳からは想像できない、冷徹な瞳だった。

「じゃ、しょーがないなぁ。最近使ってないけどあたしの部屋で寝よっか」
「へ?」
「あたしいつも剣ちゃんと寝てるのね。だから殆ど使ってないけど……おそーじは、してくれてるみたいだから、だいじょぶだと思う」
「あの、副隊長?」
「剣ちゃんは今日は一人で寝てもらおっかな。寂しがるかなー」

くすくす偲び笑いを漏らす幼女が、じゃあ早く、と俺の手を取る。
しなやか、というよりただ小さい手。
ぎゅ、と引っ張られて、振りほどけない強さが篭っているのに、少しぞくっとする。
霊圧探知の感覚が痺れたままでもわかる、このひとは、ひどく強い。

「あたしがいいって言ってるんだから、早くおいでー」
「……」
「おいでったらおいで!」

彼女は無邪気に笑う。
手を引かれて、引力を感じた。
高所から引きずり落とされるような、時間の止まりかけるほどの感覚と同時に。
隊長が持つのが暴虐な力だとしたら、彼女が手にするのは静かな恐怖。
甘えるように手を絡めつつ、弱いものに逆らうことを許さない、絶対的な階層構造を纏う霊圧に宿す。
参った、似たもの同士、二人揃って最凶だ。
易々と逆らえるはずが無え。

最強と名高い十一番隊の隊長の容貌は、名に違わぬ野卑な獣じみた強さを写し取っていた。
だが、彼の傍らにある副隊長は、姿だけならどう見たってただの子供で、飴玉でも好きそうな童女に過ぎない。
けれど、抱いた闇の濃さはきっと同じだけ強く、入隊と言われたその日から相似形の二人の魂を思い知らされる。

たぶんこのひとたちの闇そのものが、強さを希求する発端なのだろうと考え、じゃあ自分はと我が身を振り返る。
鮮明な血色を浴びた。喪に似た白も黒も潜った。

けれど。

多分俺の中には、今も彼女の瞳だけが。
仲間の喪に服した時、静かに視線を落として、「死神になろう」と呟いた紫苑の瞳が。

送り出した俺が、手を伸ばそうとすること自体愚かなのかもしれないけれど。
彼女がもうそれでいいのだと納得できていることを確かめるだけでもいい。
傍に居ることを選択できるだけの力を。
彼女が不幸ならば取り戻せるだけの力を。

まだ、やり方を知らない。何をすれば良いのか、悟ってなどいない。
黒まで深まることも無く、赤にもなり切れず、青にも戻れず、紫に焦がれて煙るだけの心。
だが、ここでなら、揺らぐその色を定めて、力だけを追い求めることができるのかもしれない。

意のままに取捨選択を簡単にやってのける童女の小さな手。その強さに少し憧れた。
叶わねえとただ願うより、この手に引きずられてでも、貪欲に得なければならないものがあるんだ。

徹底的な強さを目の前に、怯える子供時代は疾うに過ぎている。
弱さを嘆くなら足掻いてでも強さを手に入れる。

とん、とん、と童女の足音が深夜の隊舎の廊下に響く。
時折、安心させるように振り向く彼女に、やっと作り笑いでなく、笑えた。

覚悟が決まった。そう思った。




Fin.




それで次の日起きたら、無言で剣八がやちるの部屋の障子をぱんっと音立てて開けるわけですよ。
何も言わず見下ろしてくるんですよ。
深夜入隊の上、連日死ぬ思いの恋次。

元ネタ?というかきっかけはもて王だったりする今回の話。
矢射子の「とんだパンジャだわ」の台詞が秀逸だった(あの回は全てが秀逸だった)ので、
「とんだ〜だ」で一つネタが作りたくて 思いついたのが、「とんだ夜鷹だ」
……。引き出しの位置がちょっとおかしいな自分……。

一角も書きたかったなあ。

Joyce
執筆(2006/11/22〜23)
更新(2006/11/23)



WJ中心ごった煮部屋へ。