「恋次」 六番隊執務室の入り口のところに男が立っていたのに、阿散井恋次は声が掛かるまで気付いていなかった。 もう数日経ったら現世への出向任務だ。 そのために終わらせておかなくてはいけない仕事もあるし、出向に関する手続も踏まねばならない。 義骸も引き取りに行かなくてはいけないし、時間はあまりないのだ。 そのため仕事に没頭し、注意が散漫になっていた。 自分を呼ぶ声に、赤い髪の死神が顔を上げる。 入り口の男と視線が合って、ああ、と唸るような気の抜けた挨拶をしてしまう。 何故なら相手が親しい檜佐木修兵その人であったから。 「先輩どうしたんすか、なんか書類関係ですか」 「お前が、現世行くって聞いたんだけど」 「あ、ハイそうです」 「朽木隊長は」 「あ、ええと今新人狩りっつーかなんつーか。俺が抜けると仕事の面で滞るかもしれないんで、代理の人間を決めに行ってます。 本当は俺が探すべきなんだろうけど、あの人は自分が納得しないと傍に置かせないもんだから」 「そっか。色々大変なんだな」 やけに小さい声で言われて、恋次は浮ついた調子を改めた。 どうも、修兵の様子がおかしい。 「……先輩ほどじゃないです。仕事の量、大丈夫ですか。疲れてるんすか」 「そんなことねぇよ」 「少し顔色悪いっすよ」 「……いや、さっき綾瀬川に会ってな」 「弓親さんすか。あー……」 「まぁ確かにあんまり喜ばしくないことが起こったわけだが。それだけじゃなくてよ、お前が現世行くっつーから」 「心配してくれたんすか」 「おう。多分」 多分。その表現に恋次はちょっと笑った。 「多分てなんすか。多分て」 「いや、心配してもしょうがねぇなーとは思ってっから。ま、生きて帰ってこい」 大雑把な餞別の言葉に苦笑する。 「俺の心配するより乱菊さんの心配したらどうすか」 「あ?乱菊さんがどうしたんだよ」 「あれ、弓親さんに聞かなかったんですか。俺と一緒に現世行きですよ」 「なんで!?」 「や、なんか面白そうだからって」 「マジかよ……くそ、仕事があっから行けねぇよ。……隊長も副隊長もいねぇってんじゃ、隊が締まらねぇからな」 隊長という言葉を使う時に少し表情を暗くした修兵を元気づけようとして、恋次は慰めになるかわからないことを言った。 「あ、でも乱菊さんとこは日番谷隊長も一緒ですよ」 「はぁ!?何それ、仕事どうすんだ」 「三席とかに頼むんじゃないですか」 「馬鹿、お前も知ってんだろ。隊長副隊長じゃなきゃ通せねぇ書類があるってこと」 「あー……そういえば乱菊さんに言付かってました。『隣の隊ってことでよろしくね!』、だそうです」 「ちょ、おい、俺の仕事まだ増えんの!?隣なら十一番隊もあるじゃねーか!あっちは隊長副隊長健在だろっ」 「もしそういうこと言ったら、って更に言付かってます。『あっちに頼むならアンタが頼んでね』、だそうです」 修兵は更木剣八とその肩の草鹿やちるを脳裏に思い浮かべて、希望を絶たれた表情で首を振った。 「無理だ……」 先輩可哀想に。 そう思ったが声に出すと余計に落ち込ませそうで、恋次は賢明にも声を掛けないことにした。 「も、いいやー……なんとかする。あー睡眠時間減るって絶対」 「先輩もなんとか生き残ってくださいね」 「いつ帰ってくんだよ。早くしてくれよ?」 「はいはい、んじゃ帰ってきたらちゃんと報告に行くっす」 「当たり前だ。餞別の挨拶はこっちからしに来てやったんだからな。帰った時はお前から来い」 そして飲むぞ。続いた言葉に、恋次は思わず笑った。 「アンタそれしかないんですか。まぁいいけど。寂しがりの先輩のために予定空けときます。先輩も俺がいつ帰ってきてもいいように、残業はほどほどにしといてくださいね」 それが戯言のふりをした気遣いの言葉だとわかっているから、修兵も笑みを零す。 「吉良も呼んで、飲み倒すか」 「いいっすね。じゃ、それで一丁行きましょうか」 「で、お前奢りな」 「あ?なんでですか」 「仕事休んで現世出向してくんだ、そんくらいいいだろう?しかも乱菊さんと一緒ってお前、羨ましいことこの上ない」 「別に俺がメンバー決めたんじゃないんですから!第一これも仕事だし!」 「だって俺仕事押し付けられたし」 「押し付けられたひとに奢ってって頼めよ!」 「無理に決まってんだろばーか。乱菊さん奢ってくれるかよ。なー、今月もちょっとやばいんだよ」 「さりげなく帰還時の飲み代じゃなく、今の生活費の問題になってないっすか……?アンタ金の使い方まだ治んねぇのかよ。 まー、今月は貸しませんけど、帰った時は頑張りましたってことで一杯くらいなら奢ってもいいっすよ」 「よし!朝まで完徹で宜しく!」 「馬鹿かアンタは!そんな飲み方ばっかしてっからすぐ金欠になんだよ!」 「最近肝臓も弱っててよう。四番隊に世話になりっぱなしでよ」 「いい加減にしろっつの!あーもう、俺がいない間、吉良が先輩の面倒見るわけっすね。ご愁傷様だな、吉良の野郎……」 「吉良だとさぁ、俺のこと飲み屋に置いて帰るからさぁ」 俺悲しいよ、と泣き真似をした修兵に、赤髪の男は刺青の入った顔の皮膚を引きつらせながら言った。 「当たり前だ、この酒乱!アンタ記憶飛ばすっつってたから覚えてねぇと思うけど、開放的なことこの上ない飲み方すんだからな」 「あ!思い出した。介抱してくれんのありがたいけどよ、さすがに姫抱きして連れ帰るの止めろよ。殆ど記憶ねぇんだけど。 なんか体揺れんなって見上げてよ、そこにあったのはお前の顔でした、って結構驚くぜー」 あれ、俺、阿散井君にお持ち帰りされちゃう?とか思ったぜ。その言葉に、恋次は呆れた顔で溜息を吐く。 「アンタ予告なく吐くから背中も肩も貸したくないんすよ。前で抱いたら、こう、吐きそうになった時に落としゃいいんで」 「落とすな!いいじゃねぇかよ死覇装の一丁や二丁」 「これ護廷十三隊の隊服だぞ!?とんでもねぇことさらっと言うなよ檜佐木さん……」 「第一お前に抱き上げられてるとこなんか誰かに見られたらどうすりゃいいんだ。女性隊士に大人気の檜佐木副隊長の株が暴落すんぞ」 「飲み屋で酔ってるアンタの姿見た時点で百年の恋も冷めるっす。つーか四番隊あたりでは既に大暴落だと思うんですけど」 「マジか!」 「いい加減自覚した方がいいですって。これで金欠の話が広まったら終わりですよ、アンタの評判」 「男は顔だと思うんだけどなぁ」 「その考えも改めた方がいいと思うっす。せめて、恥ずかしいから他所で公言しないでくださいよ」 ま、確かにこのひとは顔はいいんだよなぁ。端正というか。仕事もできるんだよなぁ。 なのに私事となると俄然だらしがねぇんだよな。 恋次はそう思って首を傾げた。器用貧乏っつーかなんつーか。 檜佐木修兵という男は何でもできる癖に何にもやらない男だ。 (仕事はちゃんとやってるからいいのかもしんねぇけど) 今は、東仙隊長が居なくなったから、余計に踏ん張らなくてはいけないんだろうな。 そう思うと、うっかり酒くらいの楽しみはいいんじゃないかなと思ってしまいそうになる。 しかし限度というものがある。限度というものが。 「ま、介抱役がいなさそうだし、俺が戻るまで節度ある飲酒に努めてくださいね」 「努力はするけどさぁ」 「言い訳しねーでください。はい、肝臓お大事に」 「……お前、現世土産忘れんなよ」 「はいはい、酒っすね」 「美味い奴な!辛口な!」 「ちゃんと試飲してくりゃいいんでしょ、土産モンにまでうるせぇひとだなぁ」 「よし、行って来い恋次!俺のための利き酒に」 「違ぇよ!」 「うっそ。でも土産は期待してるぜ?あと奢り」 「朝までは勘弁ですよ」 「そう言うな」 にや、と嬉しそうに笑った修兵に、ああこのひとはしょうがねぇなぁと恋次も苦笑いで返した。 Fin.
アニメ設定によると肝臓が悪いらしいですよ檜佐木さん。
カラブリによるとさらに金欠らしいですよ。飲み過ぎだよ……。 スカーフェイスをモノともしない顔の良さを二重苦で相殺する彼は素敵だと思います。 ていうかほんとは黒幕隊長ズに置いてかれた吉良と雛森と檜佐木の件を入れて 暗くしようと思ったのになりませんでした。 (だから冒頭微妙に檜佐木の様子が暗い) カラブリのはっちゃけぶりと本編・東仙隊長の前での物静か美人な様子のギャップが檜佐木の魅力なんだろうなぁ。 Joyce執筆時(2006/5/6) |